日球

日球革命プロジェクト
生活のかたちが変われば、ひとが変わる。
ひとびとが変われば、社会が変わる。
次代の新しい潮流は、すでに生まれている。
その波動を感じて生きていこう。
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作品紹介【日球】
球】0号



出展イベント
・アースデイ伊豆
(2003年6月)
・笑う富士山フェスティバル
(2003/7〜8月)
 自分で初めて製作した記念すべきモデル。設計から竹の切り出し・加工・組立に至るすべての過程を自らの手で行った。
 このモデルは、接合部にボルトを使用しており、組み立てに時間が掛かってしまうのが大きなデメリットであった。また、ジョイント部も合板を加工して作った為、強度に問題があるのは否めなかった。
 しかし、竹という自然素材が作り出す優美な曲線は、その素材の特性(繊維密度の濃い竹の表面部の引張に対する強さ)を最大限に活かしている。
 この曲線が、一見、幾何学的で無機質なイメージもある本構造体を、有機的な空間として認知するのに、大きな役割を果たしていると言えよう。
 笑う富士山フェスティバルに寄付した後、主催者の判断で静岡県富士宮市にある『えいちのむら』に贈呈された。
球】1号



出展イベント
・笑う富士山フェスティバル
(2003/7〜8月)
・Be Here Now
(2003/9/11)
 商品化を視野に入れ、【日球】0号をプロトタイプとして、上海にて製作したモデル。
 上海へ向かう直前に、左手を怪我するなど、完成するまで一筋縄では行かなかったが、その分、出来た時の喜びは大きかった。
 前作の【日球】0号と比較して、まず最も改善されたのは、組み立て時間の短縮である。2人(経験者含む)で作れば、約1〜2時間で組み立てられるようになった。それを可能としたのは、ジョイントをワンタッチ差込式にした事による効果が大きい。
 また、大きさは直径4.8m、高さ2.9mと、前作よりも大きめに設定し、テント部分も製作した為、実用性は格段に向上した。ちなみに重さは全体で65kg(テントを含む)である。
 日本に到着後すぐに、笑う富士山フェスティバル、Be Here Now などのイベントに出展した。
球】1号
(移動型映像ルーム仕様)
(移動型キッズルーム仕様)





出展イベント
・第2回横浜学生映画祭
(2003/10/24〜26、
   横浜アートプロジェクト)
【日球】1号の可能性を探る。
そんなテーマの元、第2回横浜学生映画祭にて、移動型映像ルーム及び、移動型キッズルームとして、日球ドームに内在する空間の多用途性を表現し、その確信を得た。
・ 移動型映像ルーム
大きめの暗幕を日球ドームのテントの上から覆い、外部からの光の侵入を抑えた。
写真にあるとおり、白地のスクリーンをジョイント部からつり下げ、映像をプロジェクターで投影するという至ってシンプルな作りで、小規模の上映会に適した空間となった。
・ 移動型キッズルーム
自画自賛のようで恐縮ですが、この日球ドームの良さは、一度入ってみないとなかなか判らない。
入って見ると大概の人が、その独特の空間に驚き、人それぞれにリラックスしているようです。子供が楽しむのはもちろん、大人も童心に帰って楽しめちゃう。中には、気持ちよくて熟睡してしまう人も出るほどで・・・
そんな誰の中にもある子供心を刺激する空間を演出してみました。
日球
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profile
球 (本名:志村 和彦)

1975.5.8
埼玉県川越市に仮死状態で生まれる。

1976〜1998.2
1歳になる前に東京都葛飾区に引っ越し、幼少から海外に出るまでの人生を過ごす。住んでいた町は、東京拘置所で有名な小菅、家から赤煉瓦の塀が見えた・・・。

1997.3〜1998.2 (海外放浪時代)
大学を1年間休学して、アラスカ〜ベネズエラを旅する。この旅を通じ、自分が日本人である事、アジア人である事、モンゴロイドである事、地球人である事を学ぶ。人生の大きな転機となった。

1998.3〜1999.8 (日本異国時代)
帰国後、母国であるはずの日本という名の異国を旅する。
(カルチャーギャップを強く受けていた私は、日本という国が別の国のようにしか見る事が出来ない状態になっていた。)
大学に復学したものの、周囲と馴染む事が出来ず、登校拒否になった。いつしか人間不信に陥った私は、周囲に対して、心を閉ざしはじめ、自己嫌悪の末、生死の境を彷徨うように日々を過ごすようになった。
(この当時、多くの本を読んだが、今でも忘れられない本の一つに『バックミンスター・フラーの宇宙学校』がある。その本の内容自体をはっきり覚えているという訳ではないが、現代の教育に対する彼の意見は、教育者として、バックミンスター・フラーの名を記憶するに至った。)
そんな日々の中、ふと気付くと足を運んでいたのが、レイヴだった。そこにはルールがなく、オルタナティブな世界だけが存在していた。それは、私にとって衝撃的に新鮮で、ただ自然の中で自由に自らを表現する事に喜びを感じていた。

1999.8〜2000.3 (日球胎動時代・初期)
ジオデシックドームの存在を知ったのは、レイヴの世界に慣れはじめたこの頃であった。というのも、ジオデシックドームをレイヴ会場で見かける事が多かった。
それは、球状の空間形態が、最小限の表面積で最大の体積を得られるかたちであり、ジオデシックドームは、その球というかたちを最も合理化した構造体である為、キャンプインが一般的なレイヴにおいて、最も効率よく空間を形成するのに適したかたちの一つとして、ブースなどに採用されていた。
その独特なかたちの持つ美しさに魅せられ、建築を専攻していた私は、この構造体をテーマとして、自分の作品を創りたいと思うようになった。そこである人物と再会する事になる。
その人物こそ、上述した本の作者であるバックミンスター・フラーであった。彼は、私が知っていた教育者という側面の他にも、多彩な顔を持っており、ジオデシックドームの製作は、彼が建築家として、人生を捧げたライフワークでもあった。
この事実を知り、少しずつ止まっていた車輪が回りはじめる。学校に足が向かうようになり、ものづくりの本質を初めて意識的に感じつつ、目が覚めるような思いで作品作りに没頭した。まるで、今まで経てきた自分の体験を吐き出しているような、胎児が子宮から産道を通って生まれていくような、そんな毎日だった。

2000.4〜2001.11 (日球胎動時代・中期)

event

Recording live at CAVE NIPPALAND
2003年12月27日(日)@日原鍾乳洞
http://www.dejimah.com/dss/text/inamuraiwa.htm
にて、日球ドーム組立パフォーマンスを行う予定です。

BeGood Gathering 2003
2003/11/9、Zepp福岡)
第2回横浜学生映画祭
(2003/10/24〜26、横浜開港記念会館)
Be Here Now
(2003/9/11、明治公園)
笑う富士山フェスティバル
(2003/7〜8月、山梨)
アースデイ伊豆
(2003年6月、三島)
atmosphere photos

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